2014年6月13日金曜日

椎名林檎の『NIPPON』はポール・バーホーベンと高田渡と鳥肌実のスピリッツを受け継いだメタ的ナショナリズムパロディソングだ




サッカーは苦手な方なので椎名林檎がサッカーW杯応援ソングを作ったと聞いた時は
えー…と思ったし実際に曲を聴いたら想像よりもバンザイ日本!ガンバレ日本!!という
威勢が強すぎていつものクールな林檎ちゃんはどこに行っちゃったの…落胆してしまった。

しかしある記事を読んでその見方ががらりと変わった。
椎名林檎のNHKサッカーテーマ曲「NIPPON」は「右翼的」?
「別に普通」「神風特攻隊を連想させる」ネットで議論に
http://www.j-cast.com/2014/06/12207494.html

これひょっとして意図的に作ってるんじゃないの、と。

W杯に熱狂的になり過ぎるあまりナショナリズムや右翼にまで傾いてしまう一般市民を
メタ的な視点で描写してるんじゃないの、と気付いた。


思い返してみれば椎名林檎のメタ視点はデビュー当時から一貫している。
福岡でくすぶっていたパンク少女が自身を売り込むために「新宿系自作自演屋」を名乗り出したのは
スキル・容姿を客観的に見て肩書きを付けることでインパクトを与えるセルフプロデュースの賜物だ。

東京事変では作曲をメンバーに任せてバンドボーカルとしての椎名林檎を演じ、
すっかり定着したところで満を持して作曲に返り咲き『能動的三分間』という傑作を生み出した。
これも「椎名林檎はバンドでどう振る舞うと面白いか」という視点からの演出だ。

不倫報道があれば「三文ゴシップ」という直球タイトルのアルバム(アートワークは雑誌FLASHや
FRIDAYを意識したのかのようなヌード写真!)をリリースし、整形疑惑が流れれば自身のコンサートで
それをほのめかし認めるような館内放送をアナウンサーのように読み上げる。


つまりキャリアにおいて常に「自分が世間からどう見られているか」を意識し、
それらをメタ的に解釈して還元するというセルフプロデュース能力に長けているのだ。

今回はそのメタ視点を用いて「典型的なサッカーナショナリストの行動心理」を
皮肉たっぷりに歌ったのだと僕は考える。

結果、リベラル・左翼側は当然激怒して批判しナショナリストは同族嫌悪で批判するような事態になった。
特に当事者であるサッカーナショナリストはまるで鏡に映る自分を見せられているような気分になったに違いない。
そう踏まえてこの記事を読むととても興味深い。

椎名林檎のNHKサッカーテーマ曲、その“右翼ごっこ”より問題なこと|女子SPA!
http://joshi-spa.jp/102361

これを読んで思い出したのは映画監督ポール・バーホーベンが『スターシップ・トゥルーパーズ』を
公開した時のエピソードだ。

上映を見た一部の観客や批評家が
「これは戦意高揚のための右翼的映画だ!」
「まるでナチスのプロパガンダ映画だ!」
と本気で怒り出したのだ。

これを聞いたバーホーベン監督は各種メディアを通じて
「これはエソテリック(分かる人にだけ分かるような)ムービーだ」
「これは「ナチスのプロパガンダ映画」をパロディにした反戦映画だ。分かるか?」
と一々説明して回らなければならなくなってしまったのだ。

自身の幼少期の陰惨な戦争経験から強烈な皮肉を込めた作品を作った結果、
受け手側のリテラシーが低く反戦映画が"右翼ごっこ"と認識されてしまったのである。
(まあこれはある程度監督自身も想定していた事態かもしれないが)


もしかすると先ほどの記事の音楽批評家や一部の激怒している人たちに
高田渡の『自衛隊に入ろう』を聞かせたら
「自衛隊を礼賛するとは何事だ」
「”自衛隊に入って花と散る”が神風特攻隊を連想させる」
と本気で怒り出してしまうかもしれない。
実際にこの曲には当時の防衛庁が自衛隊のPRソングとして使いたいとオファーした
という爆笑エピソードもある。


また思想啓蒙活動をメタ的に捉えてパロディにして笑わせる手法は鳥肌実を彷彿とさせる。

鳥肌実はあんな芸風の割にノンポリを貫いていたがここ最近は保守系団体のイベントに出演したり
デモに参加したりして"演説芸ではない"演説を行っている。これは朱に交われば、ということではなく
「危機に直面している日本の現状に目を向けてほしい」という風にここ数年で思想が変化したから、らしい。

右翼ギャグ芸人だった彼や、先ほどの記事に書かれている通り
「過去に軍歌に特化したイベントを開催したり、愛車にヒトラーと名付けたり」という風に
ファッション右翼だった彼女でさえこの様なアクションを起こすような、起こさせるような空気が
今日本に蔓延しているのかも知れない。前回のエントリでも言及した坂本慎太郎言うところの
「さすがに、メッセージ的なものが何もない音楽って、今どうなんだろうって、ちょっと思いますね。」だ。


ちなみにメタ的な視点という風に考えると先の記事に
「日本と関係ない試合でこれが流れるマヌケさ」という意見があったが、
スポーツニュースで他国同士の試合が流れたところで大多数は「日本とのゲーム差は○○」
「ここでこの国が負ければ勝点××なので日本がベスト8進出」と自国のことしか考えない傾向が
あるので結果的にこの曲が意図している状況が見事に実現されていることになる。

他にも彼の言う「不必要なまでに過剰」「明らかにTPOをわきまえていない」
「そもそも日本以前にサッカーという競技そのものを想起させる瞬間すらない」
もすべてそういう意図で作られているから、と言う他にない。
あまりこの言葉は使いたくないがいわゆる”釣られた”というやつだ。


そして僕がこの曲を聴いて最初に感じた違和感
「バンザイ日本!ガンバレ日本!!という威勢が強すぎる」というのはある意味
正しい受け止め方だったということがわかる。
これまたそういう意図で作られているからだ。

同時に僕がW杯が開催される度に辟易してしまうのはサッカーが苦手だからではなくて
代表選手に対して「国家の威信」「日の丸を背負って戦え」「国歌をちゃんと歌え」「負けは国辱」と圧力をかけ、
同調しない人には「非国民」「応援しない人は日本人じゃない」と圧力をかけてくるような、
この曲で描写されているようなサッカーファンが苦手だからということに気付かされた。


と、自分の意見をここまで述べてきたが彼女がどこまで意図していたかは正直わからない。
熱狂的なファンをモチーフにして歌った結果、熱気よりも冷や水を浴びせるような曲に
たまたまなってしまっただけなのかもしれない。

しかしここまで皮肉の利いた曲だと考えるとジャケット写真すらも意味深に見えてくる。
いくらサッカーに詳しくない僕だってサッカーボールは蹴るものだということぐらいは知っている。


ほんのつい先考えていたことがもう古くて
少しも抑えて居らんないの
身体まかせ 時を追い越せ
何よりも速く確かに今を蹴って